2024年4月17日水曜日

津軽そば


ある集まりで、津軽そばの生産メーカーの方と同席し、その由来について議論した。昔、弘前城西堀近くにあるそば屋「野の庵」の女将の説を私のブログに載せたので、そのあらましを話すと、それはうそだと指摘された。何でも「野の庵」の方が生産メーカーに由来を聞きにきた時も、彼はこの説を否定したという。実際、ブログにはもう載っていない。一応、その説を紹介する。

 

西洋砲術を江戸に学んだ弘前藩士、岩田平吉にまつわる話でおもしろいのは、西堀近くの割烹「野の庵」の女将佐藤貞子さんの口伝で、創業者佐藤与七はこの岩田平吉(恵則 よしのり)の従者であったが、与七は東京で暮らすうちにそばの味を知り、明治維新後そばも出す小料理を開いた。知り合いの寺院からお布施でもらうそば粉、大豆の活用を依頼され、それで作ったのが津軽そばと言われている。これをみる限り、津軽そばの歴史は意外に新しく、せいぜい明治以降のものであることがわかる。また岩田平吉が津軽そばの誕生に関わったようだ。

 

津軽そばの特徴は、熱湯にそば粉を入れて練った「タネ」を作り、小分けして水に一晩つける。次の日に、まず大豆を茹でてすった「呉」とそば粉をこのタネに加えて練り上げ、打って、そのまま一晩放置する。そして茹でて、一食ずつに小分けしてさらに一晩放置してから、翌日、食べる前に熱湯にくぐらせ、熱いダシをかけて出す。もりそばはなく、すべてかけそばとなる。そばを作るに3日間かかり、非常に手間のかかるものである。

 

市販のスーパーで売っている津軽そばには、大豆は入っていないようだが、製法は同じであり、同じような食感である。小麦のかわりに大豆をつなぎとして入れるのが津軽そばの特徴とされるが、大豆自体はそれほどつなぎの働きはなく、仮に普通のそばのように小麦を使ったとしても、湯でおきのそばであれば津軽そばと言ってもいいであろう。実際の食感はあまり変わらない。

 

通常、小麦の栽培は、米の裏作として作られることが多いが、雪の多い、津軽では裏作で小麦が作られることはなく、またうどんを中心とした小麦需要も少ないため、もっぱら農業の主役は米栽培であった。もちろん蕎麦は米栽培に向かない荒れ地や山間部で栽培され、津軽でも目屋などで作られた。大豆は貴重な植物性タンパク質として豆腐や醤油の原材料で、多くの農地で作られてきた。あくまで仮説であるが、江戸時代、津軽ではそば粉、大豆に比べて小麦が入手難であったのだろう。さらに言うと、ボリュームとしてそば粉でソバを作るより、それに大豆を加えた方が安上がりだったのだろう。江戸時代における津軽のそば事情は、店舗中心のやや高級な「生そば」と、屋台の「夜鷹そば」に分かれており、庶民が愛したのは寒い夜の「夜鷹そば」である。昭和40年頃まで市役所や盛り場、街角に屋台のそば屋が店を出し、客は安い値段で、短時間で食べた。

 

逆につい最近まで、弘前で蕎麦というと津軽そばのことをいい、出雲蕎麦や信州蕎麦のような蕎麦粉(+小麦)を使った喉越しの良いそばは一般的でなかった。おそらく弘前で通常のそばを出すようになったのは、弘前の人気店「高砂」からではなかろうか。このお店は大正2年に現在の弘前大学医学部近くにあったが、昭和48年に現在の親方町に引っ越した。その頃に東京の“藪や”で修行をしていた店主が帰り、今のような一般的な蕎麦となった。その後、新寺町の「會」などもできて、逆に従来の津軽そばの店が減ってきている。

 

私自身、津軽そばも信州そばも、どちらも好きだが、両者はそれぞれ違う麺類と考えた方がよく、基本的には冷たい津軽蕎麦はなく、この麺類は啜る食べ物で、喉越しなどを楽しむものではない。柔らかく、ほとんど腰のない津軽そばは、優しい味で、これはこれで食べ慣れるとクセになる。蕎麦と名がついているが、通常の蕎麦とは違ったものと考えてよい。津軽そばは麺自体がぶつぶつと切れてしまうので、少しぬるくなった汁と共に麺をどんぶりの縁から口に流し込むという少し下品な食べ方もうまい。

2024年4月14日日曜日

当院における外科的矯正 2

 

近所で鷹を見ました。カラスに攻撃されていました



鹿児島大学では、主としてファイシャルダイアグラムを用いて分析していた。この分析法の素晴らしい点は、視覚的に骨格性、歯槽性の異常、上下顎骨のずれ、上下切歯の傾斜、下顎骨のパターン(ハイアングルなど)が一発でわかる。他の矯正歯科の先生には

理解するのは不可能であるが、鹿児島大学では、半年ごとに検査をしてセファロ(ラテラル、PA)、パントモ写真、模型を撮る。まず朝10時に患者が外来に来ると、10台くらいあるチェアーに適当に座り、入局1、2年の先生が検査をする。まず口腔内、顔面写真をとり、そして印象を取って、放射線科にオーダーしてレントゲンを撮ってもらう。その間に印象に超硬石膏に塩を入れて模型を作る。大まかにトリミングでして、レントゲンができるのを待つ。レントゲンができると、すぐにファイシャルダイアグラムをレントゲンに直接、セロテープで貼り付けて、分析する。分析時間は10分。治療中の患者は、これまでの治療経過も見ながら、今後の治療計画を作る。そこに教授と先輩が来て、治療経過と今後の治療計画を説明し、絞られる。これを午前中に2名行う。ただ新患を、この時間で診断、分析をするのは難しく、慣れれば一般矯正患者はこれでも何とか診断できるが、外科的矯正にあたると、矯正回診でカンファランスと言われ、後日の夕方に治療計画をたて、医局員全員分のコピーをしてカンファランスに提出する。ここでもかなり叩かれ、疑問に答えられないと、再度提出となる。多い月にはこうしたカンファランス症例が67症例あり、さらに外科的矯正では、医局のカンファランスの後に口腔外科との合同カンファランスがある。そして手術になると、フック立てやスプリントシーネを作るだけでなく、手術当日は実際にオペ室に入り、助手として手術介助と顎間固定を行う。さらに入院中にも何度か、顎間固定の状態を確認する。また助手になると1年間、宮崎医科大学附属病院歯科口腔外科に出向し、ここで矯正歯科を担当する。担当する矯正歯科患者の抜歯、埋伏抜歯も全て矯正歯科医が行うし、病棟の注射や点滴も行う。私の場合は、大学の友人がここの医局長をしていたので、顎変形症の手術だけでなく、教授の口唇、口蓋裂の全ての手術の助手に入ったし、週に1回あるいは2回の当直もしていた。

 

こうした経験があったので、外科矯正自体については、矯正歯科だけでなく、口腔外科についてもある程度理解していた。1994年にこちらに来ると、弘前大学医学部病院の歯科口腔外科の教授に東北大学の先輩が就任したため、すぐに非常勤講師として採用してもらい、さらには形成外科の先生との親しくしてもらい、外科的矯正、口蓋裂の患者が増えていった。当時、弘前大学医学部歯科口腔外科ではあまり外科的矯正の症例がなく、年間1、2名であったが、今では20-30症例となっている。こうした場合にもフェイシャルダイヤグラムを使った分析やCDS分析は、口腔外科医や形成外科医にもわかりやすく重宝している。

 

これまで外科的矯正でうまくいかなったことを少し、挙げてみる

1.計画通りの移動されていない  これが一番多く、術後の位置決めはスプリントシーネで指定しているが、術後大きく変化することがある。近位骨片の位置決めの問題で、骨片をチタンプレートで固定するときに、下顎を前に持ってきて止めてしまうからである。反対咬合では、術後矯正で何とかなるが、非対称や上顎前突では、どうしようもなく、術後矯正でリカバリーできないことがある。10mm下顎を前に出したが、結局5mmしか出ていない場合や、上下の正中が一歯分ずれて固定された場合などである。後者の場合は、強い顎間ゴムを使用すると、固定していたネジが折れて結果的に正中が合ってくることもある。

2.上下の幅径が合わない  通常、反対咬合の場合、術前矯正では上顎歯列を狭窄させるケースが多いが、大臼歯部の咬合の緊密な場合は、なかなか上顎歯列を狭くできない。この場合は、術後矯正で修正した方がいい場合もある。私は018サイズのブラケットを使っているが、022ブラケットの方が合わせやすいのかもしれない。

3.前歯が中に入らない 術前矯正では、上顎切歯を舌側に移動して、後退量をかせぐために一時的に反対咬合を大きくするが、中には舌で上顎切歯を前に押すために入らないケースがある。力系ではそうしたことはないはずだが、舌突出癖のために上顎切歯が全く動かず、大臼歯ばかりが前に動いてしまう。こうした症例も術後矯正で治した方がよく、サージカルファーストはこうした症例では有効であろう。

4.術後の後戻り  術後の変化の多くは1の固定での問題に起因が、稀に保定に入って変化することがある。特に上顎前突の症例では、筋肉や皮膚組織のテンションから前に出した下顎を後ろに動かそうという力が後戻りに影響する。前方移動量が5-7mmを超えると後戻りが多いと言われるが、やってみないとわからない。       

 


2024年4月10日水曜日

当院における外科的矯正

 






二年前に当院で矯正治療を学び、その後、日大松戸で2年間の研修を終了し、4月末に台湾に帰国する先生が先日、弘前に来た。目的は、当院での外科的矯正の診断、治療法を学ぶためである。一応、2022年度に外科的矯正で来院し、治療中の21名について、それぞれ診断、治療方針の策定の実習をしてもらった。

 

午前中の2時間は、鹿児島大学歯学部矯正歯科の診断法、ファイシャルダイアグラムを使った診断と外科的矯正の診断、治療計画の策定、及び東北大学歯学部矯正歯科のCDS分析とそれによる治療計画の実習をした。以前のブログでも説明したが、日本の歯科大学は、大きく分けて顔から診断するところと咬合、かみ合わせから診断するところに大別される。顔からの診断というと、まず理想的な横顔と患者の横顔を比較して顎をどれだけ移動すると利用的な顔になるか、その場合、かみ合わせをどうするかを考える方法である。逆にかみ合わせからの診断は、まず患者のかみ合わせを理想するのは顎をどのように移動するかから考え、その場合、顔はどのように変化するかという方法である。

 

例えば、下顎前突、反対咬合の例で説明する。上顎が正常で、下顎が大きい、骨格性反対咬合の場合、多くの症例で、上の前歯が外に飛び出て、下の前歯は中に倒れている。これをデンタルコンペンテーションという(補償作用)。咬合から考える大学では、大臼歯関係はI級を目標にするので非抜歯で術前矯正をし、上顎は叢生が大きいか、よほど切歯が前に飛びでていなければ、そのまま並べる。結果、オーバージェット、オーバーバイトは良好で犬歯、大臼歯関係はI級となる。ただ下顎の後退量はかなり小さい。逆に顔を中心に考えると、多くの症例では上顎第一小臼歯を抜歯し、上顎の前歯をできるだけ、中にいれ、反対咬合を大きくしてから手術を行う。

 

日大松戸では、非抜歯のケースが多く後退量も平均して5-6mmmとのことである。私のところではほぼ80%は上顎の小臼歯の抜歯で、後退量も8-10mmくらいとなる。明らかに私のところの方が下顎の後退量は多い。先日、北海道の先生から紹介された症例では、そちらの治療方針では、後退量がわずか3mmくらいで、術後も明らかに下顎の前突感が残るので、治療方針を変更して上顎小臼歯を抜歯して、後退量が8mmになるようにした。矯正歯科医院にくる患者の多くははっきり言って見た目の改善を希望している。下顎が出ているのが気になる人は、せっかく手術するなら、絶対に下顎がまだ出ていては満足しない。そのため、私のところでは反対咬合ではできるだけ、たくさん下顎が下がるように、上顎前突ではできるだけ下顎が前になるように治療方針を立てる。

 

顔から治療方針を立てる大学は、私論であるが、ファイシャルダイアグラムなどの図形分析をメインに診断しているように思える。私のところでは、外科的矯正の診断は全てファイシャルダイヤグラムと東北大学のCDS分析を併用して行っている。具体的に言えば

1.セファロトレースを行い、SNA, SAB, ANB, U1 to FH, FMIA、下顎平面角と一番重要なWitsの評価を行う。Witsの評価とは咬合平面にA点とB点の垂線をおろした点の距離である。上下の顎のずれを現す。

2.プロフィログラムをN原点、FH平面に平行に重ねて、大まかな顎骨のずれを見る

3.CDS分析では、通法通り、N点で重ね合わせるだけでなく、鼻先で合わせ、中顔面以下のバランスを見る。

4.上顎切縁と口唇閉鎖線との距離を測る

5.まず上顎の移動が必要かを調べる。4の距離が大きい、正面写真よりガミーフェイスがあれば、上顎の上方移動が必要となるし、正面からのレントゲン写真で咬合平面の傾斜が必要なら上顎骨を切って修正する必要がある。側方での咬合平面の傾きを時計回りに回転して下顎の移動量を増やすこともある。下顎の後退量が12mmを超える場合は限界なので上顎骨の前方移動を追加する。

6.その後、下顎の移動量を決定する。実際は、ここで模型と睨みっこして、この移動量ではいくら術前矯正を頑張っても無理な場合は移動量を修正する。

7.多くの場合、反対咬合では上顎のデンタルコンペンテーションを修正するために第一小臼歯を抜歯するし、逆に上顎前突では下顎の第一小臼歯を抜歯することが多い。反対咬合では下顎は非抜歯で術前矯正を行うので、大臼歯関係はII 級となる、上顎前突では上顎切歯の唇側傾斜もある場合は上下左右第一小臼歯、上顎切歯が前に出ていない場合は下顎の第一小臼歯を抜歯して、大臼歯関係はIII 級となる。

8.移動量を多くすると、上下大臼歯部の幅径を合わせるのが難しくなるので、ケースによっては術後にコーディネーションした方が早い。

 

以上が大まか当院の外科的矯正の診断法である。次回はもう少し詳しく説明する。



次世代航空機の開発


 

経済産業省は、新たな国産旅客機開発に向けて、2035年以降に複数の会社とともの開発支援する方針を立てた。三菱重工のスペースジェット撤退の教訓を生かして新たな旅客機開発を行うという。確かに販売の90%くらいまでこぎつけていたスペースジェットの失敗をそのままにしておくのはもったいないという気持ちはよくわかる。ただスペースジェットも最も大きな問題は、アメリカ連邦航空局(FAA)の型式証明の問題であり、この問題がある限り解決はない。

 

型式証明は飛行機を国際的に売るためには必須の検査であり、例えば、アメリカFAAの型式証明がないとアメリカの航空会社に売れないどころか運行もできない。ただ日本であれば、日本政府による型式証明をとれば、日本での運行は可能であるが、FAAとは相互承認の協定があるとはいえ、欧州航空安全機関EASAFAAとの関係とは異なる。EASAで型式証明が得られたエアバス社の旅客機は同時にFAAの型式証明を得ることができ、またFAAで型式証明が得られたボーイングの旅客機は同時にヨーロッパの型式証明を得ることできる。ところが日本やブラジル、中国で型式証明が得られても、EASA FAAが取れるとは言えず、三菱重工の失敗を見ると、むしろFAAEASAは自国以外の会社、もっと言えば、ホンダジェットのような小型機を除く、通常の旅客機については、ボーイングとエアバス以外は締め出しているといえよう。この2社以外の航空会社としてはカナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルの2社があるが、前者はもはや旅客機を作らず、後者にしても三菱重工のスペースジェットにやや遅れた開発が始まったE-jet E22013年から開発を始め、2016年に完成し、初飛行をしたが、そのまま開発延期となったままである。

 

三菱重工のスペースジェットについては、私自身、YS-11以来の国産旅客機ということで多いに期待して三菱重工株まで買ったほどであるが、中止までの経緯を見ると、アメリカFAAによるいじめとしか思えないような仕打ちであった。個人的な話であれば、カッとなって殴りかかるようなものである。詳しくは忘れたが、久しぶりの国産旅客機開発ということで、日本政府も全面的に三菱重工に力を貸し、どうすればFAAの型式証明を得られるか、詳しく調査して設計、制作に入り、初飛行に漕ぎ着けた。あとは確か2000時間以上の飛行と安全試験に合格すればいいという状況になっていた。それもクリアできそうになると、今度は根本的な最初の設計に関わるような変更を指摘される。そしてその指摘を修正した飛行機による同じような性能試験を求められ、それを今度もクリアするとなると、ボーイングのB737の飛行機事故によってまた基準が変わり、再変更を指摘されるといった具合に、際限なく変更が求められた。きちんとした具体的な合格基準がないのが原因である。おそらく試験官がかわるだけでもまた基準も変わるのだろう。いずれにしても、これこれ変更してくださいと言われて、変更するとまた別の箇所の変更を求められ、それをまた変更すると、もっと基礎的な最初に言うべきところの変更を求められるといった塩梅である。当初は、日本叩き、あるいはアジア人への人種差別も入っているかと思ったが、アメリカに唯一存在する旅客機メーカー、ボーイング社も最新機種B787FAAの型式証明を取ったのが2014年、これは最後で、新型機より派生型の方が証明を取りやすいために、ほぼ60年前に開発されたB737が改良されていまだに生産されている。

 

三菱のスペースジェットの反省というなら、ボーイングかエアバス社との共同開発の方がいいだろう。スペースジェットは70-90席のリージョナルジェットを目指したが、いまだにパイロットと航空会社の契約、スコープ・クローズの問題は解決されておらず、エンブラエルのE2ジェットもこのために開発延期となっている。最大座席76席、重量39トンという制限はジェットではスペースジェットでしか達成できず、航空会社にとっても燃費の悪い旧式機体を使うジレンマとなっている。具体的には、スペースジェットの70席を、ボーイングと共同でモデファイさせ、さらに燃費、安全性、航続距離を上げた機種の開発を狙ってはどうだろうか。1からの設計ではないので、コスト的にはかなり縮小できる。すでに三菱重工はカナダのボンバルディアを吸収しているし、ここはボーイングとも関係が深いので、ボンバルディアの新型機体とする手もある。ボーイングはブラジルのエンブラエルとの事業買収に失敗しているが、いまだに小型機開発を諦めておらず、流石にB737の延命はこれ以上無理なので、70-90席、さらには120-130席までの機体も欲しいところである。

 

経済通産省が目指す、新時代の航空機、水素、EVなどを動力とする航空機は、現行のFAAの型式証明は得るのは不可能に近いか、莫大な費用と期間がかかる。こうした厳しい型式証明制度自体が旅客機の進歩を止めており、1958年に導入されたボーイング707から現行機種もそれほど大きな進歩はない。

2024年4月7日日曜日

開業医の正体 松永正訓 著

 

以前から評判になっていた「開業医の正体 患者、看護婦、お金のすべて」(松永正訓、中公新書クラレ)を一気に読んだ。経営のことまで詳細に書かれており、そこまで公表していいのだろうかと思ったほどである。著者の経歴を見ると1961年生まれ、1987年に千葉大学医学部を卒業して小児外科医となり、今は小児科の開業医として多忙な仕事をしながら、多くの本を出版している。本書もベストセラーとなり確か3万部ほど売れているそうだ。

 

私は1956年生まれだから、5歳ほど年下ということになるし、医科と歯科では全く環境は違うし、外科の中でも小児外科を専攻したのも特殊である。それでもほぼ同じ時代のことなので、本を読んでみて共感することが多かった。私の場合は、最初に小児歯科講座に入局してのが、1981年、その後、3年ほどそこで研修をした後、1984年に鹿児島大学矯正歯科学講座に入局した。当時はまだ大学院に行くか、研究生に行くかの選択ができたが、その後、医学部、歯学部とも大学院大学になると、基本的には大学院に行かないと入局できないようになった。松永先生はその最初の頃で、大学院を卒業して、博士号を取得し、その後も臨床、特に手術数をこなしながら、基礎研究で活躍されている。私のいた頃は、研究より臨床が好きで、大学院に行かなかった先生もいた。叩き上げの先生と呼ばれていて、最古参の助手、筆頭助手くらいになると、臨床症例を集めて論文博士を取得する。こうした基礎研究を重視する制度はしばらく続いたが、20年ほど前から、弘前大学医学部病院の教授の経歴を見ても、臨床しかしていない先生が出てきた。最近では教授選考では基礎論文云々よりは、手術手技を見る傾向があり、わざわざ大学の教授選考委員が、候補者の手術を見学に行くこともある。そうした流れで、今は若い医学生もあまり大学院には行かずに、専門医取得を目標にするようになり、これが松永先生の時代とは違う。

 

この本では、大学病院の先生、病院の勤務医、そして開業医の違いをわかりやすく説明していて、収入、自由時間はこの順に増える一方、やりがいは逆の順になるようだ。特に外科の先生の考えだろうが、松永先生のように病院で小児の手術を数多く経験した先生からすれば、開業医での仕事では、そもそも手術がなく、そうした点では不満が残るのであろう。開業医には名医はいないと言い切っているが、本当にそうであり、高度な手技、経験を必要とある手術では名人がいても、そもそも開業医でそうしたことをすること自体ない。的確に、見落としなく診断し、問題があれば大学病院などに送るのがいい開業医なのである。

 

歯科の場合は、口腔外科を除くと、高度医療機関という概念が少なく、大学病院での治療と開業医との治療はそれほど違わない。矯正歯科で言えば、ほぼ同じと言って良い。ただ大学病院では、口蓋裂、トリチャーコリンズ症候群、マルファン症候群など先天性疾患に基づく不正咬合の矯正治療も行っている。ただこれも大学病院のない地方、私のいる青森県では弘前大学医学部病院の形成外科から私のところに紹介され、かなりの患者が集まっている。

 

この本では、それほど書かれていないことがある。手術ができて、そうしたことを生き甲斐にしている先生は、大学病院で高度な治療をしたいのだろう。ただ大学での生活はあまりに雑用が多く、何より給料が安く(国立の場合は国家公務員の給料)、私がいた当時も教授の給料は月で30-40万円くらいであった。国立大学の場合は、大学卒業からの年数で、給料級が決まり、それに医師手当がつく仕組みになっており、基本的には文学部など他学部の教授より少し高い程度であった。そのため、公務員の兼業は基本的には禁止されているが、大目に見られてアルバイトに励んだ。アルバイトによる収入で生活しているようなもので、給与だけであれば、朝から晩まで、次の日の日直までして働くという大学病院には残らないであろう。そうしたこともあり、優秀な外科医が、安い給料と忙しさにより大学を辞めて開業することがある。もったいない話である。これがアメリカであれば、同じ手術を受けるにも治療費に差があり、経験豊かで優れた手技を持つ外科医は高い手術料がかかり、医師も大きな収入を得る。

 

個人的には、もはや大学院大学で基礎研究をして博士号をとる制度は時代に合わず、基礎研究は好きな他学部の研究者にさせて、臨床を中心としたアメリカ型の大学院大学に変更すべきである。臨床のトップである大学教授については、臨床、教育、研究のうち、研究の比重を減らし、臨床と教育に主眼を置くべきであろう。さらにいうと民間病院と大学病院の給料差があまりに多く、教授も含めてアルバイトをしないと厳しいという状況はなんとかならないものだろうか。民間病院でアルバイトをして生活費を稼ぎながら、症例数を増やし、大学では安い給料で雑用をして最新の医学を学ぶという民間病院と大学病院の相補性しか解決法はないのだろうか。一つの方法としては、これもアメリカでよく行われる方法であるが、大学病院の教授が民間病院の正式な職員となり、ここで手術などの治療を行う一方、民間病院の先生が大学病院の学生に教えるということがある。大学教授は、ここで高い給与を得る一方、勤務医は大学病院で教えることで最新の研究を知るとともに名誉も得られる。私も弘前大学病院歯科口腔外科で、30年ほど前から非常勤講師をさせてもらい、数年前までは月に1回は外来で診療していた。こうしたことは珍しいことで、大学病院と民間病院、開業医との3つの関係が、さらに交流しやすくなればいいかなあと思う。

2024年4月4日木曜日

弘前市が湧いている

 


 


このブログでは、弘前についての厳しいコメントを書くことも多いが、それでも他の町に比べると認知度という点ではマスコミに比較的取り上げられるところである。弘前市の人口は約18万人、人口規模でいうなら、私の実家の阪神間で言えば、伊丹市が20万人、川西市は17万人、宝塚市が23万人なので、同じくらいの市と考えてよい。まず伊丹市について言えば、私は隣の尼崎市に18歳までいたが、伊丹空港以外に行ったことはないし、まず大阪、兵庫の人で空港以外に行くことがない。川西市に至っては、関西の人に聞いてもどこだったかなあという市で(川西市の人、すいません)、もちろん川西市に行ったことはない。この3つの町の中でも全国的に一番有名なのが宝塚市で、宝塚歌劇の名を知らない人はいないであろう。個人的には宝塚の逆瀬に友人がいたり、富岡鉄斎で有名な清澄寺もあるので比較的知っているところであるが、それでも宝塚歌劇以外では知らない人が多いと思う。

 

現在、弘前市は、テレビで引っ張りだこの王林さん、現代絵画で有名な奈良美智さん、そしてお笑いではシソンヌじろうさん、NHKニュース7のメインキャスタになる副島萌生さんがいて、盛り上がっている。また漫画家としては「ふらいんぐうぃっち」の石塚千尋さん、「フシノカミ」の黒杞よるのさん、ロックバンド「人間椅子」の和嶋慎治さん、ピアニストの五条院凌さん、小説家では「パールの正しい使い方」の著者、青本雪平さん、映画監督には木村文洋さん、出生地というなら寺山修司も入れてよい。映画では、昨年公開された菊池凛子さん主演の「659km、陽子の旅」や「バカ塗りの娘」は弘前が舞台であった。ここ数年、弘前出身の若者の活躍が目立つ。

 

もともと弘前市は人口規模の割には、面白い人物を輩出するところで、小説家でいうと青い山脈で有名な石坂洋次郎、佐藤紅緑、葛西善蔵、福士幸次郎、長部日出雄、今官一、「あさが来た」の古川智映子やノンフィクション作家の鎌田慧などがいるし、高原学者の今和次郎、作曲家ではドラえもん、タイガーマスクなど多くのアニメソングを作った菊地俊輔や亜蘭知子、GRAYHisashi、柔術家の前田光世、プロレスラーの船木誠勝、西武ライオンズの外崎修汰、小惑星探査機はやぶさで有名になった川口淳一郎、奇跡のりんごの木村秋則、明治時代まで遡れば、「津軽人物グラフィティー」で取り上げた、外交官の珍田捨巳、政治家の笹森順造、菊地九郎、宗教家の本多庸一など多彩な人物がいる。

 

お国自慢に聞こえるかしれないが、県庁所在地である青森市、経済都市の八戸市など人口が弘前市より多い他の県内の市に比べても、弘前市のマスコミに取り上げが多いように思え、よくテレビを見ていると、弘前市での撮影が多い。先日も「暮らしの手帖」(4-5月号)で岡本仁さんの「また旅」で弘前市を取り上げてくれた。中央弘前駅などニッチなところを紹介し、さらには弘前市民にも馴染みの少ない、ホットな場所も紹介している。本来なら20-30ページくらいの詳しい説明がいるのを、31枚の小さな写真を一気に紹介しているが、その店名を言うと、中古家具屋「PPP」、古書店「まわりみち文庫」など私がよくいく店も紹介されているし、中央弘前駅近くの「よおしょく屋」、喫茶ルビアン、戸田のうちわ餅、居酒屋のドテノメヤッコ、ケーキ屋のマタニ、虹のマート内にあるブラザー、菓子屋の大阪屋、銀水食堂、中三ラーメン、コーヒー屋のYadori coffee roasters、壱番館、ひまわり、フランス料理のポムリ、バーのアサイラム、などなど、なかなかマニアックなお店紹介となっている。ただメインで取り上げられている焼き鳥屋はどこかわからない。

2024年3月22日金曜日

歯科医のイライラ



歯科医がイライラし、スタッフや患者に怒ることがある。私もそうである。診療中に怒り、スタッフに八つ当たりすることもあり、反省している。

 

どうした状況で、こうしたことになるか、例を挙げて説明しよう。例えば、矯正治療でいえば、ワイヤーを外し、調整し、そしてセットして本日の診療は終了、最後に上顎第二小臼歯を結紮しようとするとポロッとブラケットが外れる。ああとつぶやくがこれくらいではカッとはしない。諦めてもう一度、結紮線をカットしワイヤーを外し、新しいブラケットをつけて、ワイヤーを結紮すると、また外れることがある。ここらから少しイラッとなる。バンディングに切り替え、もう一度ワイヤーを外し、小臼歯バンドで同じことするが、今度は衛生士が間違えて下顎のブラケットを準備し、それをろう着した時点で気づく。ここで衛生士に怒る。当初、15分で終わることが30分以上かかり、次の患者が待っている。イライラしてカッとなるのはこうした状況である。

 

同じようなことは、抜歯の際、簡単に抜けると思ったのに歯根の先端が折れたとか、形成中に、急に患児が手を上に挙げて舌や頬粘膜を切ったとか、色々ある。さらに患者が多すぎて、次の患者がいっぱいいるときも、受付の予約の取り方にイラつきカッとなる。

 

なぜカッとなるか、最初に例で言えば、ブラケットが外れるのは不可抗力で、どうしよもない事象であり、いくら努力し、注意しても避けることができない。こうしたことが起こる時にカッとなりやすい。自動車を運転していて、後ろから追突されれば、カッとするだろう。コンピューターの急に壊れて、中のデーターも消失、これもよくあることだが、これもカッとなるだろう。

 

歯科の治療を、外科治療によく似ており、内科のように話だけで終わることはなく、何らかの処置を行う。外科手術の場合、同じような手術をしていても、相手は機械ではないので、それこそ人によって全く状況は異なり、あり得ない状況が起こることがある。優れた外科医の特色として、こうした予知しないことが起こった時に、いかに冷静に対処できるか、心に言い聞かせて、中から湧き起こるイライラを抑えていく。イライラして良い手術ができないとわかっているからだ。ただその場合、一旦、スタッフに八つ当たりしてガス抜きをする先生と、グッと飲み込み先生がいる。私の知っている歯科医の先生はグッと飲み込みすぎて、治療後に気分が悪くなりトイレで吐く先生もいる。

 

こうしたイライラ、怒りをなくす方法は、一つは、治療を中断する方法で、例えば、ブラケットが外れたなら、次の来院日に再装着すればいいし、抜歯で歯根を破折した場合も次回にもう一度トライし、無理なら前もって大学病院に紹介状を書いておけば良い。ほとんどはこの手でイライラ、怒りは治る。もう一つは、他の人にしてもらう。同じくブラケットが外れても、処置自体を全て歯科衛生士や助手にされているところは、そもそも先生はイライラも怒りもない。さらに患者数を減らす、処置を減らす(予防処置中心)などもイライラを少なくする方法である。さらに近年では、こうした治療自体によるイライラだけでなく、患者とのコミュニケーションも原因となる。例えば、延々と電話でクレームを話し続ける患者がいたり、これは聞いた話だが、補綴物の適合が悪くなり、その日に入らなかった時に、患者から交通費を請求されたという。これもかなりイラつく話ではあるが、その先生は流石にベテランで、平謝りして、2000円だか3000円高の交通費を払った。イラついて患者と論争するより早いという。

 

最近は、歯科医が患者に対してイラつくと、すぐにGoogle レビューなどに投稿され、厳しい意見を受けることが多いので、若い先生の中には、こうしたイライラを体に溜め込み、体を壊す先生もいて難儀な商売だと思う。もちろん基本的には先生の性格によるものが一番で、せっかちの性格の先生はイラつきやすく、気の長い性格の先生は怒りにくくが、これだけは性格なので治らず、私の場合もせっかちな性格なので、障害者用駐車場の平気で車をとめる人や歩行中に突っ込んでくる右折車にはつい注意をして、逆ギレされたりする。中でも一番イラつくのは、受付や衛生士に、口の利き方が悪いと怒鳴る親がいる。先生には何も言わないが、受付や衛生士に、この口に利き方は何だと怒鳴る。会話は全て聞いているので、明らかにおかしい場合、私は怒る。矯正歯科の場合は、途中でやめられないので、結局、その後は子供だけが治療し、親はバツが悪く駐車場で待つことになる。この話を4人の先生にすると全員、こちらの非を認め、従業員に謝らせると言っていた。医療はサービス業なので、イラついてはけない、怒ってはいけないということらしい。弁明になるが、歯科医がいつもイラついているのではなく、実際に患者に怒るのは年に1、2度のことだし、スタッフに強く当たった時はいつも後悔して落ち込む。