2007年3月6日火曜日

今和次郎2



今和次郎の生誕地は、弘前市百石町16番地と思われる。川添登「今和次郎 その考現学」(ちくま学芸文庫)では24番地とされているが、ラグノオささき(佐々木菓子店)のHP www.ragueneau.co.jp/company/ragueneau.htmlをみると「和菓子ささき」の3軒隣りで今が生まれたとしている。現在の百石町展示館(写真上)の斜め前の商店(写真下)に当たる。この展示館は青森銀行百石町支店をリフォームされたものだが、人気があり、通年を通じてて市民が利用している。古い建物がこのように市民の生活の中で使われていて、今和次郎も喜んでいることだろう(一日全館借りても6000円くらいと非常に安い)。
弘前市は、雪の多い町で、雪対策にはいつも頭を悩ましているが、今の弟子に当たる吉坂隆正早大教授(1917-1980)が1970には「弘前生活改善計画」、1973年には「弘前市積雪都市計画」を発表しており、今の故郷への思いが弟子を通じて、あるいは間接的に受け継がれている。さらには近年、弘前大学の北原啓司教授によりコンパクトシティー,街なか居住などの新しい試みが行われている。
ジャンバーとズック靴が正装だった今が、晩年勲二等をあげたいと国から言われた時に、モーニングを着ないといけないなら、ジャンバーでももらえる勲四等にしてもらったという逸話がある。何もそこまで意地にならなくてもと思うが、このへんの感覚がじょっぱり青森人ぽい感じがする。

(2011.10.25 追加) 生家は上記に述べたところとは違うようで、反対側、土手町寄りの3軒先の、今のがだれ横町という飲食店の入ったビルのところで、明治二年絵図では大道寺源之進宅あたりのようです。

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