2007年6月8日金曜日

北辰堂


笹森順造が通っていた剣道道場の北辰堂はいまでも現存します。弘前文化センター横、弘前合同庁舎裏の道が長坂町です。この長坂町の奥の方に北辰堂があります。外見は昔の日曜学校のような立たずまいで、剣道道場のようには見えません。明治中頃に立てられたようで、そのころ弘前市内には明治館、北辰堂、城陽会、求道館、清友館、陽明館などの町道場があったようです。笹森が通っていた頃の北辰堂の小野一刀流の師範は旧藩指南役の対馬健八というひとで、おもしろいのは剣道だけでなく、演説、討論を行う文学部や遠足部?、運動部などもあったようです。日曜学校ぽいのはこんなところから来ているからかもしれません。
明治になっても弘前には剣道についての独特な風土があり、東西南北にある道場がそれぞれ競いあっていました。そして高名な多くの剣士が弘前に来て指導していたようです。また道場同士の競い合いが高じて、明治24年のねぶたでは「北辰堂襲撃事件」というものが起こり、総勢80名が刀剣、木刀で乱闘し、多くの死傷者がでたようです。扇ねぶたの横には「石打無用」と書かれていますが、昭和初期までねぶたの期間は市内を練り歩いたねぶた同士がかち合うとけんかがおこり、お互い石を投げて相手のねぶたを壊すということがあったようです。中には日本刀による切り合いもあったという熱いまつりです。土淵川にかかる朝陽橋より西が時敏小学校学区、東が和徳小学校学区ですが、昔は和徳小の子どもがこの橋を渡り、西に行くだけで時敏小の子どもに何しにきたのかいじめられたようです。これほど昔は町内、学区の対抗意識が強く、ねぶたや道場間の争いに発展したのでしょう。
現在、弘前には小野派一刀流、當田流剣術、當田流棒術、新夢想林崎流居合、本覚克己流柔術、直元流長刀、陽真流抜刀術、小堀流踏水術、卜傳流剣術などの古武道が残っています。有名な甲野善紀師範の脚光に伴い再び日本の古武道も見直されています。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんばんは、いきなりのコメント失礼します。私はダイという者です。
今度、青森・弘前方面に出向することになりました。
以前より古武道に興味があり、機会があればと考えていました。
こちらのブログに直元流の薙刀に関して記載がありましたが、どちらに行けば習えるのでしょうか?よろしければ教えていただけないでしょうか。

このような事を、このような形でお聞きする無礼をお許しください。

広瀬寿秀 さんのコメント...

直元流の長刀については、笹森順造が受け継ぎました。長刀は弘前の高校でもクラブがあり、盛んですが、特に古武道を教えているところはないと思いますし、指導者も知りません。申し訳ございません。青森県なぎなた連盟にお問いあわせいただくか、古武道を研究している弘前稽古会、修武堂に聞いていただい方がよいと思います。http://www.geocities.jp/bokuden_1969/index.html。