2007年11月6日火曜日

山田兄弟7


山田良政をモデルにしたマンガがあります。安彦良和さんの「王道の狗」(白泉社、全4巻)の主人公で、加納周助という名前になっています。左の図は物語のラストに近い場面で主人公が恵州蜂起に向かう場面です。この後、実際には良政は戦死します。当然マンガですので、ほとんどフィクションで、良政の履歴とはほとんど違います。調べてみると作家の安彦さんは弘前大学に在籍し、学生運動で中退してマンガ家になったようです。弘前にいた時に山田良政のことを知ったのでしょう。
このマンガの中で加納の武術の師として武田惣角が登場します。武田惣角といえば、植草芝平とともに、合気道の創始者として有名です。この二人に師事し、惣角から免許皆伝をもらった久琢磨(ひさ たくま)という朝日新聞の記者がいました。うちの両親が大本教系統の宗教団体に入っており、神戸の大水害の時にこの道場に父と一緒に行ったことがありました。父が数人と一緒に道場の周りを見回りに行った時に、突如砂防ダムが決壊して、ドンという音とともに、押し流され、それを私が発見して助けたということがありました。その時に一緒にいたのが久さんでした。きゃしゃな感じの普通の老人で、ばたばたした状況の中で平然と座っていたのが記憶にあります。武術の達人といっても、その風貌を見ただけでは誰もわからないと思います。
同じようなことは太平洋戦争の勇者も、戦後はきわめて平凡で淡々とした生活をしていた人が多いようです。例えば勇猛を誇る駆逐艦艦長の春田均中佐は、戦後、小さな材木屋に勤めながら、もくもくと病弱な妻の介護を37年間も続けたという(最前線指揮官の太平洋戦争 岩崎剛二著 光人社NF文庫)。功を誇るわけでもなく、幼い子供たちを妻に代わって淡々と世話することは、なかなか軍人にはむずかしいことだと思います。
本当に勇敢で、強いひとというのは、案外見た目は平凡なのかもしれませんし、逆に平時で平凡なひとも戦時では余人のまねができないような勇敢な行動がとれるのかもしれません。

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