2008年7月31日木曜日

山田兄弟14




 最近は山田兄弟のことばかり書いていますが、何だが関心がこちらに集中している状態です。

 先の弘前で行われた愛知大学の山田兄弟の講演会では、関連書も同時に販売していました。いくつか購入しましたが、その中の「同門書院記念報」におもしろい記事が載っていましたので、紹介します。

 山田純三郎の子息順造さんは、父親の偉業を後世に残すため、資料館の建設と本の出版を強く願っていましたが、なかなか進展せず、亡くなられました。無念だったと思います。体を壊し、もはや本の完成は無理だと知った、友人の結束博治氏と作家の保阪正康氏が何とか、その遺志を受け継ぎ完成したのが、「醇なる日本人―孫文革命と山田良政・純三郎」(結束博治 プレジデント社 1992)と「仁あり義あり、心は天下にあり 孫文の辛亥革命を助けた日本人」(保阪正康 朝日ソノラマ 1992)の2冊です。両書とも出版年が示すように山田順造氏の追悼と悲願をかなえる本です。どちらもすでに絶版になっており、今や本屋に並ぶことはありません。その後、16年間山田兄弟に関する本は一冊もありません。インターネット上では部分的には紹介されていますが、なかなか世間の注目を浴びるようなことはありません。

このような状況を打破すべき、朝日新聞出版に出したのが以下のメールです(朝日ソノラマはつぶれました)。

朝日新聞出版
  書籍統括
    新書編集部 御中

 私は青森県弘前市で歯科医をしている広瀬と申します。趣味で、郷土弘前の偉人について調べています。弘前市は多くの偉人を輩出していますが、そのひとりに山田良政、純三郎兄弟がいます。中国革命の父、孫文の最も信頼の篤い日本人協力者であり、兄良政は最初の蜂起恵州蜂起で戦死、弟純三郎は兄の遺志を継ぎ、蒋介石や陳其美らとともに孫文の革命を助け、その臨終にも立ち会ったと言われます。
こういった中国、台湾とも関連が深い人物ですが、地元でもそれほど知られていません。この最大の理由は、本屋に山田兄弟について書かれた本が一冊もないことです。

 唯一、朝日ソノラマ(1992)から出版された保阪正康「仁あり義あり、心は天下にありー孫文の辛亥革命を助けた日本人」に山田兄弟、宮崎滔天のことがくわしく書かれていますが、今は絶版になっています。

 中国では胡 錦濤主席になってから、それまでの排日政策を転換し、日中友好の方針を立てている一方、台湾では馬総統になり逆に日台の関係がぎくしゃくしています。日本、中国、台湾を結ぶ友好のキイとして孫文があり、山田兄弟があると思います。
平成22年は純三郎没後50年に当たります。あまり売れなかった本を新書、文庫化するのは非常に難しいと思いますが、是非ともご検討いただきたくお願いする次第です。

 著者の保阪正康は、今や現代史の売れっ子作家で、本が出された当時より購買層は多くなったと思います。また保阪さん自身、他の本や雑誌でも未だに山田兄弟については執着があるようです。知られざる日本人像としても一定の興味を引く題材だと言えます。


当然のごとく、一読者からのメールに反応するほど朝日新聞もひまではないでしょうから、そのまま無視されています。それでも何とか文庫、新書化してほしいと願いっています。

 先に紹介した同門書院記念報には、愛知大学が所蔵している山田純三郎関係資料の詳細が載っています。いろいろな人との付き合いがあったことを示す資料集ですが、どうした訳か、孫文、蒋介石とやりとりした手紙がありません。当然、両者と純三郎は手紙でもやり取りがあったはずですし、山田にとっても孫文からきた手紙は宝物で、大事に保管していたものと思います。ただ資料776に張継というひと(このひとかhttp://homepage2.nifty.com/ryurinsya/1zhangji.htm)から山田純三郎宛の手紙で孫文関係の資料、党史会への貸与願(1946.7.6)が記されており、また中国国民党、中央党史史料編纂員会から革命史蹟展覧会開催に際しての史料貸借願い(1947.2.7)などの手紙もあり、孫文や蒋介石との手紙は国民党に渡った可能性もあります。そうなら山田純三郎と孫文や蒋介石との手紙は、現在台北の国父記念館のある可能性が高いのではと思います。一度、台北駐日経済文化代表処か、台湾にいる友人を介して尋ねてみたいと思っています。

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