2010年8月19日木曜日

明治2年弘前地図(星野、今関係)



 こういうブログをしていると、時折読者からの問い合わせがあり、楽しい。

 この前にいただいたのは、日本にのみ存在する論語の注釈本『論語義疏』を研究されている先生からのもので、渋江抽斎らの『経籍訪古志』にこの『論語義疏』が記載されおり、それには「弘前星野某所蔵本」となっている。森鴎外の「渋江抽斎」から、この星野某とは星野伝六郎あるいはその子供金蔵のことと推測し、もしそのご子孫が弘前にいれば写本を持っているのではという問い合わせだった。

 星野の姓は弘前では少なく、電話帳でみても3軒しかない。早速、弘前明治2年地図を調べていく。大まかなところは、すべて写真に収めているので、画像を拡大、回転しながら、すべての画像を調べる。そうすると塩分町のところに「星野伝三郎」の名前を発見する。星野姓は一軒だけであり、星野某は星野伝三郎しかいない。すると3軒右隣に戸沢八十吉の名前も発見する。「渋江抽斎 その89」にある「戸沢がかう云つて勧めた時、五百は容易にこれに耳を傾けた。五百は戸沢の人と為りを喜んでゐたからである。戸沢惟清、通称は八十吉、信順在世の日の側役であつた。才幹あり気概ある人で、恭謙にして抑損し、些の学問さへあつた」の戸沢で、星野とは兄弟で近所に住んでいたわけである。

 たまたま、この星野の家のあったすぐ隣に友人が現在住んでいるので、すぐに連絡したところ、塩分町で古くから住むひとに連絡いただき、現在調査中である。判明できればうれしいが、塩分町では明治2年からずっと住んでいる人はいないようで、仮にいたとしても記憶はないであろう。

 もうひとつは、今東光を研究している方からの問い合わせで、今東光の父方の祖父の住所を探されていた。山下町2番地の今文之助の家ということで調べたが、同所には今宗蔵の名前が見られる。文之助の嫡男の名前である。弘前の町並みは、戦災に会っていないので、基本的には明治2年とほぼ同じであり、住所までわかっていれば探すのは簡単である。今東光の母親のあやは、弘前藩典医の伊東家久の娘であり、兄は弘前市長で医師の伊東重である。伊東の家は教育熱心で娘あやにも当時としては最高の教育を受けさせ、出来たばかりの函館遺愛女学校に行かせ、その後は東京の明治女学校に学んだという。かなり英語は得意であったろうと思われ、キリスト信徒ではなかったかもしれないが、その影響は受けていたと考えられる。当時の女子としては相当なインテリであった。元長町の伊東小児科のところで生まれたとすると、学区は朝陽小学校である。佐藤紅緑と小学校同級生とするが、あやは明治元年生まれ、佐藤紅緑は明治7年生まれで、少し時代は違うようだ。ただ伊東家はかなり奥まで敷地があり、あやさんの思い出に隣にわんぱくな子供がいて、それが紅緑だったという話は、敷地の奥に家があれば元大工町の紅緑の家とは隣というのは十分うなずける。

 地図上で、家を探す際に、難しいのは昔のひとは名前をいくつも持っていて、号も含めて知っておかないといけない点である。また戸主の名前も、早くに子供に家督を譲ることもあり、家系も知っておかないといけない。問い合わせに、こうした情報も伝えてくれると、探しやすいし、こちらも勉強になる。例えば、「渋江抽斎 その41」に登場する平井東堂についても、名は俊章、字は伯民、小字は清太郎、通称は修理、号は東堂となる。塩分町で死去となっているが、地図では平井永二郎となっている。東堂の子供に違いないが、家系がわからないと断定できない。それでも塩分町だけで、星野、戸沢、平井の3名の名前が、森鴎外「渋江抽斎」に登場する。富田町と並んで関係の深い地区である。

 地図には2、3mmくらいの小さな文字でみっしりと名前が書いているので、随分小さな家に住んでいるように錯覚するが、当時の武士の住まいは標準的な敷地で200坪くらいあり、今の感覚からすれば結構大きな家である。先に述べた星野、戸沢、平井、今の家もこのくらいはある。間口は狭いが奥が長く、玄関、平屋の家、その裏が畑あるいは庭になっていたようである。

 明治2年弘前地図は、江戸末期、明治初期の弘前藩の研究、森鴎外の「渋江抽斎」の研究に役立つと思われ、できれば全面公開したいと考えていた。ところが調べると、こういった古い地図では穢多、非人など公開上、微妙な問題が含まれており、他の都市の古地図でも、研究者以外には公開は難しく、また博物館でも展示していない。そのため一旦大学、博物館、図書館に寄付すると、一般人にはとても見ることができないものとなる。地図を見ようにも、閲覧許可書に自分の研究歴や目的を記入して、許可されなければ見ることもできない。実際には大学の研究者以外では、許可されず、アマチュアの研究者は見ようと思っても推薦状なども必要で面倒である。こういった問題があるため、保管については心配だが、しばらく家で預かり、問い合わせがあれば、自己判断で公開したいと考えている。何か公開で不都合があれば、すぐに連絡いただきたい。なお、問い合わせは直接、歯科医院HPの患者用アドレスでメールしてほしい。

 弘前在住の方で星野家についての情報お持ちの方は、是非ともご連絡いただきたい。

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