2013年5月8日水曜日

新編明治二年弘前絵図 出荷終了

 5月5日の東奥日報の朝刊、社会欄に私の本が紹介されてから、大混乱です。あっという間に本が売れだし、500部印刷した分、個人用のものを除いた分、すべて出荷しました。店頭の並んでいる分でおしまいです。

 本日、紀伊国屋弘前店を訪ねましたが、先ほど最後の一冊が売れて、ここでの販売は終了となりました。ただ今回は青森県内の多くの書店に出荷しているので、一部の書店では在庫あるかもしれませんが、問屋である青森図書には在庫はなく、現在書店にある分が最後となります。

 発刊した最初の週は、紀伊国屋週間ランキングの三位、「海賊と呼ばれた男」に勝ちましたが、次の週は四位となり、このままランク外となり、ほそぼそと売れ、1、2年で完売することを狙っていました。前回の「明治二年弘前絵図」は300部印刷しましたが、未だに売っていないかとの問い合わせがあったので、今回は500部印刷にして、準備したつもりでした。

 5月2日に陸奥新報の文芸欄で取り下げていただき、小田桐好信さんによるすばらしい書評をいただき、感謝しています。多少は売れ行きを期待していましたが、紀伊国屋を見てもそれほど在庫の減少はなく、がっかりしていました。ところが5月5日に東奥日報で取り上げられた瞬間に、あっという間に売れだしました。翌日の5月6日には紀伊国屋の在庫はなく、その日に90冊、出荷し、それでも足りず、今日さらに残りの40冊を出荷して、診療所にある本は自家分を除き、すべて無くなりました。

文芸欄での紹介では、本の好きな人が対象となりますが、社会欄に掲載されると、その範囲が広く、あまり本に興味もない人も買っていったのでしょう。

早めに、増刷しようかと思っていますが、早速、読者の方から間違いの指摘があり、もう少しすればさらに多くの間違いが見つかると思います。原稿はできているのですが、いざ印刷するとなると再び、版下を作らなくてはいけず、印刷費が安くなる訳ではありません。逆に新しく版下を作るのであれば、少し修正して出したいと思います。

 禅林街については、その付近に住む人物については詳しく調べたつもりでしたが、個々の寺院については、明治二年絵図と現在の寺の配置の違いを述べるにとどめました。ところがここに長年住む住職の方よりメールがあり、寺の配置は創建時から大きな変化はなく、明治二年および三年絵図は間違っているとの指摘でした。古い絵図を見ても、仰る通りで、禅林街の寺の配置は基本的は創立時からほとんど変化していません。明治四年絵図では修正されています。おそらく明治二年絵図自体の記載間違いなのでしょう。

 ただ明治二年という時期を考えると、廃仏毀釈の時期と重なり、最勝院が大円寺の場所に移転する、慈雲院や大行院もなくなる、最勝院、薬王院の沢山の塔頭もなくなる。さらに禅林街でも長勝寺門前町といった地名もなくなる。要するに、これまで弘前藩で庇護されていた寺そのものが、壊滅状態となった時期です。実際に禅林街でも全昌寺が跡継ぎがおらず、隣の海蔵寺に合併しました。こういった混乱期、寺そのものが廃止される可能性があった時期、ほんの一時期でも住職が変わり、寺の名前も変えた可能性はないわけではありません。江戸時代は、今と違い、坊さんは妻帯できず、世襲ではなく、弟子の中から後継者を選びました。比較的、檀家がしっかりした大きな寺であれば、こういった危機的な状況でも乗り越えたでしょうが、檀家の少ない小さな寺では、先行きの全く見えない時だったでしょう。隣同士の寺の順序が反対になるといった初歩的な間違いではなく、永泉寺、嶺松院、川竜院の三つの寺の配置はあまりにひどく異なり、場所が今とは全く異なります。この地区を調査した係の者の聞き違いと思うが、何か理由があったのかもしれません。

 もう少し、検討してみよう。他にも間違いがあると思うので、今度はねぷたの頃に加筆訂正して再販しようと考えているので、今回買えなかった方はその時にお買い求めください。


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