2014年10月14日火曜日

ボーダレス





 ボーダレス。そのままの意味からすれば、境界がないということか。国の境界、人種の境界、男女の境界、世代の境界、こういった二つの対立する概念の境界がなくなることを指す。

 私が子供ころの授業参観と言えば、保護者は正装して参加した。後ろに方にいる母親達をみると、普段は着ない訪問着などで着て、おめかししている。精一杯のおしゃれをして授業参観に参加した。たまの休みに大阪に行くとなるとこれも朝からおしゃれして、男の方も普段は着ない背広や大島の着物を着て、梅田や難波に出向いた。

 ところで今はどうかというと、授業参観におしゃれしてくる人などほとんどいない。会社のユニフォームのまま、ジャージを着てくる人もいる。同様に百貨店に行くのにわざわざおしゃれする人も少ない。

 今、考えると、昔の女のひとは老けていた。今の3040歳と言えば、まだまだ若いが、昔の40代というとかなり老けていたし、ピンクや黄色の服などは絶対に着なかった。主婦の服、年寄りの服、色は決まっていて、茶色、灰色、黒など地味な色に限られていたし、ズボンも絶対にあり得なかった。海外のドラマをみると、中年の女のひとでも原色の服を着ており、さすが海外の女のひとは違うと言っていたものだが、今はそうではない。年齢による色の制限はない。

 娘と同じ服を着るという親子も珍しくなくなり、そういった意味での世代のボーダレス化はここ20年急速に進んでいる。服だけでなく、音楽、文化なども若者と、年配の方とのギャップは少なく、むしろ同世代間のギャプの方が大きい。コンピューターにしても年配の方の方が、携帯しかしない若者よりよく知っていたり、今はやりのニューバランスの靴などは高いので、若者より中年の方の方がよく履いている。うちの93歳になる母親の愛用のフリースはパタゴニアのR2とR3である。年代差がなくなっている。

 またインターネットのお陰で、日本で流行してものがあっという間に世界で流行したり、逆の場合もあり、国境のボーダレス化も進んでいる。全く知らない外国の人とメールで繋がり、色々な情報を得ることもできるし、こちらから商品を注文して送ってもらうことも可能である。現地に行く必要もなくなる。

 また男女のボーダレス化も進み、今は専業主婦という言葉は死語となりつつある。奥さんが働き、夫が家事をするのも珍しいことではなく、夫が家事一切をしないと離婚の原因となる。一緒に家事をするのが当たり前となっている。服にしてもユニセックスのものが増え、今やスカートは珍しく、中年以降の女の人を見ていると、8割以上はパンツルックとなっている。逆に化粧をする、きれい好きの男性も増えている。散髪屋ではなく、何時の間にか男性も美容院に行くようになった。男性唯一の趣味であるプラモデルも女性が進出しているし、自転車、釣りの世界もそうである。

 こうしたボーダレス化の流れのなかで、男女差、世代差、外国と違うのが、会社、政治の分野で、まだまだ日本では圧倒的に男社会である。安倍政権でも内閣改造によって女性大臣が増えたが、それでも民間会社での役員の女性比率は少ない。もうひとつは、人種間、宗教間のボーダレス化は逆方向に向かっている。人権派が騒げば騒ぐほど、境界はより明瞭となる

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