2015年5月12日火曜日

日本画 掛軸の暴落

 明治初期、日本に来た外国人は、西洋化に伴う日本画のあまりの暴落を見て、多くの名品を買い求めた。それまで日本人には慣れ親しんだ花鳥名月を主題にした絵画は見向きもされなくなり、ほとんどタダ同然の値段で、外国人に買い求められ、海外に流出した。大英博物館やルーブル美術館など海外の多くの博物館所蔵の日本画の名品はこの時に流出したものである。その後、明治30年ころから日本でも骨董ブームが起こり、流行画家、例えば橋本雅邦等は、お金持ちの家では当然あるべき掛軸としてかなりの高値がついた。ところがこのブームも終戦後、さらに平成になると、家の多くから床の間がなくなるとともに、次第に掛軸が見向きもされず、そして日本画家も軸から額縁の絵を書くようになった。その結果、現在の日本画家でまともな掛軸を書ける画家はほとんどいなくなった。

 一方、これらの絵画の売買を行う骨董屋やオークションはどうかというと、横山大観を筆頭に、川合玉堂、菱田春草、富岡鉄斎などブランドを持つ画家については、バブル期に比べるとかなり値は下げたとはいえ、未だに人気があり、値も高い。一方、先に述べた橋本雅邦、広瀬小蘋などは驚く程値が下がった。さらに森琴石など昭和初期に大阪画壇を代表する大家の作品でも10万円程度で本物を買うことが可能であり、さらにいうならもっと下のクラス、望月玉川あたりの幕末、明治初期の画家あたりになると、画風が古いため、数万円となる。私が集めている森琴石門下の近藤翠石クラスになると1万円程度でオークションにでている。

 当然、前回のブログでも述べたが、贋作も多いが、そもそも贋作とは人気の高い作家ほど、贋作も多く、円山応挙などは99%贋作であるが、一方、近藤翠石となると50%くらいの割合となる。無名な作家ほど贋作は少なくなる。骨董、オークションで日本画を買い求める年配に人も多いが、今はコンピューターを駆使すれば、作家の署名、落款など多くの情報を得ることができ、コンピューターだけで高い頻度で真作を安い値段で買うことができると思う。ちなみにテレビで人気のある「開運 なんでも鑑定団」で高い値が付けられている作品でも、それは骨董屋の売値で、買値は数分の一であり、地元作家の南画など二、三十万円の値がついてもオークションでの落札価格は1、2万円となる。こうなると贋作も真作も値はかわらなくなる

 うちの母親は日本画、墨相画を描くが、昔、東京、銀座で何度か個展をした時に、画廊から最低でも10万円以上の値を付けるように言われた。息子からすれば、母の日本画の技術は幕末期、明治期の作品には全く及ばない。それでも田舎では新築の床の間には新しくて、華やかな作品が好まれ、かえってうちに母親の作品の方が喜ばれる。

 現在、オークション常連の年配の方は、有名作家に方向が向いているので、幕末、明治の二番手、三番手当たりの画家は、驚くほど安く売買されているので、好きな作家がいて、研究すればかなり安い値段で得ることができるし、私の場合は、洋風のリビングに適当に掛けたり、外国人の友人のプレゼントにしている。結構喜ばれる。ただ今回の芳園の作品のようにほとんど無名の作家でも、うまい贋作者がいたのか、贋作があり、骨董絵画は難しい。それでも戦前の作家、明治、大正、昭和初期の作家は、基本的な絵画技術は現代の作家に比べて、みんなうまく、有名作家にとらわれなければ、優れた作品を安い値段で求めることは可能であり、今後とも気に入った絵であれば、例え贋作を掴ませされても、まあいいかという値段で落札したい。


 贋作の「芳園」の作品は、「芳園輝」という署名は贋作としても珍しいので、研究のためにほしいという要望がシンシナティー美術館からあった。美術館の収納はどこもいっぱいで、基本的には寄贈しようにも価値がなければ受け取らず、返却される。まあ贋作でも収蔵されたのを名誉と考えたい。

 写真は先日、オークションで買った土屋嶺雪という大正、昭和の兵庫県、高砂市出身の画家の作品である。近藤翠石よりランクは下がるので、まず贋作ではなかろうが、それでも30%程度は贋作の可能性はある。今の時期、ピッタリの作品なので、15000円で落札した。海外の方には喜ばれそうな作品で、めざとい外国人はこういった作品をお土産で買ったいき、作品は流出していくのだろう。

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