2015年8月21日金曜日

妻と飛んだ特攻兵3





 テレビ朝日の戦後70年ドラマ『妻と飛んだ特攻兵』を見た。番組予告で実物大の97式戦闘機(単座)を使ったと聞いていたので、最後の場面でどのように奥さんが飛行機に乗り込むか、気になっていた。97式戦闘機を改良した2式高等練習機(乙型)や、98式直協偵察機を改良した99式高等練習機なら、複座なので、翼から乗り込むことができるが、単座の97式戦闘機では、一旦パイロットが外に出て、座席の後ろの胴体内に押し込むと思っていたが、番組では機体下部のハッチから乗り込むようになっていた。97式戦闘機の三面図をみると、右翼後部の付根の胴体に50cmくらいのハッチのようなものが見られる。97式戦闘機は軍の要求にも関わらず、胴体内に燃料タンクがなく、座席後方の胴体はがらんどうになっていた。そのため、ノモンハン事変でも撃墜された友軍のパイロットを草原に着陸して救助するという事例が多い。ノモンハンのエース、青柳豊曹長は被弾して着陸した11戦隊のトップエース篠原弘道を助けようと、着陸したところ、ソ連戦車に取り囲まれ、負傷する。それを見た岩瀬曹長がさらに着陸を敢行し、二人を胴体内に押し込んで、何とか草原から離陸して救助した。座席後部に二人を入れる空間があったことを意味する。敵戦車10台がせまった状況でよく二人を胴体内にすばやく入れることができるなあと思ったが、胴体下部にハッチがあれば、ここから短時間で無理矢理押し込むことができる。そう考えるとこの右胴体下部のハッチは胴体が空洞なので、このハッチから荷物を入れたのかもしれないし、それを救助用として使ったのだろう。ただテレビのように座席後部に補助椅子を作れたかは疑問であり、ここには隔壁のようなものがある。目撃者の証言からは複座としていることから、99式高等練習機と考えたい(他の搭乗員が奥さんの同乗を知っていれば、単座の2式高等練習機と複座の99式高練の編隊)。97式戦闘機の俊敏な飛行は、昭和15年製作の『燃える大空』に見られる。中国機役として95式戦闘機も登場し、実機を使ったシーンは貴重である。


鈴木貫太郎首相暗殺未遂(二二六事件)

 鈴木貫太郎は終戦時の首相で、今年のドラマや映画でも日本を終戦に向かわせた恩人として描かれている。実は鈴木は、二二六事件では安藤大尉の率いる一隊により左脚付近、左胸、左頭部に三発の銃弾を浴びた(四発ともいわれ、肩の線に沿ってはずれた)。とどめこそなされなかったものの、三発の銃弾を浴びて普通は助かる訳はない。この時に使った拳銃が支給品の二十六年式拳銃である。この拳銃は耐久性と故障は少なかったが、初速が遅く、命中精度も悪かった。鈴木貫太郎襲撃時も近距離からの発射でいながら、発射時のブレがあり、急所が外れたのであろう。さらに初速が遅く、銃弾も脳内での変形が少なく、あまり脳へのダメージも少なかった。銃弾は左頭部から左耳付近から抜けたとようで、頭蓋に命中した弾丸が初速、破壊力が少ないので、骨により侵入角度が少し変わり、脳の外側部をへて左耳から出た。脳の重要な部分をよけたので、一命をとりとめたのであろう。昭和10年に採用された新型拳銃の九十四式拳銃はまだ二二六事件当時まだ少数であったが、大正14年に採用された十四年式拳銃はすでに一般的であっただけに、事件当事者の下士官が二十六年式を携帯したのは、幸いであった。将校は個人の嗜好で拳銃を買うため、おそらく外国製の拳銃を持っており、もしそうした拳銃が使われたなら鈴木貫太郎はほぼ即死であったろう。


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