2016年2月21日日曜日

弘前学院(弘前)と遺愛学院(函館)の交流を


 北海道新幹線が今年の326日、いよいよ開業します。札幌まではまだお預けですが、新函館北斗まで開業し、新青森からは約1時間で行けるようになります。青森と函館が、ずいぶん近くなりました。弘前観光コンベンション協会でも青森県・函館デストネーションキャーンペーンを行い、函館と青森観光を組み合わせた旅行を提案しています。

 函館が開港したのは安政元年(1854年)。それ以前からこの地は、良港で、幕府の箱館奉行所がありましたが、町が大きくなったのは開港後でした。それに伴い外国公館や教会、洋式建築が建つようになり、こうした建築物が函館観光の目玉になっています。その一つに遺愛女学校の旧宣教師館、本館があります。

 遺愛女学校(遺愛学院)は関東以北では最も古い学校で、創立は明治6年(1874)ですから、本年で142年になります。メソジストの宣教師のハリス夫妻が明治6年にDay Schoolを作り、その後、明治14年にはカロライン・ライトの基金を元に本格的な女学校、カロライン・ライト・メモリアル・スクールを開校しました。こうした女子のための学校は、函館市民にはまだ受入れられませんでしたが、津軽海峡を挟んだ青森県、弘前では士族の娘を中心に期待されました。というのも弘前では明治8年に東奥義塾の女子部ができ、卒業後の高等教育を受けたいと考えた女子がいたこと、さらに女子部が明治15年に廃止されたため、カロラインスクールの一期生、二期生は全員、弘前出身者で占められました。また弘前から来た先生も多くいました。生徒達は学校そばにある寄宿舎できびしい管理のもと、生活したようです。

 山田敏子、旧姓藤田敏子は、藤崎教会の信徒で医者である藤田奚疑の長女で、女子にも高い教育を受けさせようとする父の希望により明治20年に遺愛女学校に入学しました。わずか11歳でした。9年間学び、高等科を卒業後も、さらに英語を学ぶために2年間、宣教師の子弟の家庭教師をしました。この敏子が結婚したのが、孫文の中国革命を支援した日本人の一人、山田良政でした。結婚生活はわずかな期間でしたが、夫の生死がわからないまま、弘前女学校に3年間勤務し、その後、明治38年から遺愛女学校で教えることになりました。大正二年に同校を辞めて、山田家で老齢の両親に仕え、義理の親が亡くなってからようやく離婚して藤田姓に戻りました。

 小説家、今東光は父親の勤務の関係で、函館の遺愛女学校の幼稚園に通っていました。早熟の今東光の初恋に相手が、先生であった藤田敏子だったようです。本人も書いていますし、弟の日出海も言っていますので、そうなのでしょう。実は今東光の母親、伊東綾は明治二年生まれで、朝陽小学校卒業後に、きゃしゃな手漕ぎ舟で津軽海峡を渡り、遺愛女学校に入学します。おそらく3回生のようです。同期には鎮西学院の中興の祖、笹森卯一郎の妻、三上とし(明治4年生まれ)や野田コウ(古澤香)がいます。当時の寄宿舎の舎監は戊辰戦争で会津城に立て篭った雑賀アサで、厳しくしつけられた。弘前出身で遺愛女学校に通っていた人物としては、高屋徳子(山田トク、明治元年生まれ)がいます。東奥義塾女子小学部から、県立女子師範を経て、明治15年に遺愛女学校に入学します。また弘前女学校の教師となった大和田シナも、おそらく一回生あるは二回生でしょう。儒学者の兼松石居の娘、兼松シホは1844年ころの生まれで、明治8年にできた東奥義塾女子小学部の教師をしていましたが、学問への想いが強いため、明治15年に38歳ながら新しくできた遺愛女学校に入学します。その後、旧藩主の娘、津軽理喜子の侍女となります。一回生の六人の生徒についてははっきりしていません。

 弘前から遺愛女学校に通う生徒が多いため、それなら地元に女学校を作ろうとしてできたのが、弘前女学校(現弘前学院聖愛中学高等学校)です。明治19年に来徳女学校として開設しました。翌年には遺愛女学校の分校として弘前遺愛女学校とし、その後、弘前女学校として今に続いています。遺愛学院と弘前学院はこうした経路から全く姉妹校ですが、両校に正式な姉妹校関係はないようです。歴史的には姉妹校ですので、もう少し生徒同士の交流があってもよさそうです。

 今年は弘前学院聖愛中学、高等学校も創立130周年を迎えます。できれば式典には遺愛学院の関係者をお招きして、正式な姉妹校関係を結んでほしいところです。私のいた六甲学院では同じイエズス会系として横浜の栄光学院、広島の広島学院、そして福岡の上智福岡中学、高等学校(泰星学院)と姉妹校関係にあり、サッカー部のOB会でも毎年対抗戦をしています。函館と弘前は、北海道新幹線で近くなりました。是非ともこの機会を利用して両校の交流が深まるのを期待しています。

*年配の卒業生に聞くと、昔は生徒同士の交流があったようですが、最近はあまり交流はないようです。

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