2017年11月1日水曜日

国立附属学校を考える



 国立大学の附属学校の入試についての論議がある。筑波大学附属駒場中学、高校に代表される国立大学の附属学校がエリート校化している。東京大学など難関大学への入学者が多い、こうした国立大学の附属学校が、いわゆる受験校となっており、本来の附属学校の趣旨からははずれており、その入試方法を試験ではなく、抽選などにすべきという声が挙っている。

 弘前市にも弘前大学附属幼稚園、小学校、中学校があり、ここには高校はないが、教育熱心な父兄が子供を入れ、地元の名門高校、弘前高校への入学者数では市内トップを誇る。私の子供二人は近くの公立小学校、中学校、高校に進んだが、周囲の医者、歯科医の子供の多くがここに入学する。診療所近くの高校進学塾は、ほぼ附属中学の子供で占められ、私の子供は入塾を断られた。

 こうしたこともあり、私は国立大学の附属学校にはかなり批判的である。まず、もともと附属学校は、教育学部、教育大学の附属学校で、教官、学生の実習場所として設立された。いくら大学の授業で、教育学の講義を習っても、それを学校の授業に生かせなくてはいけないし、卒業後、すぐに教えることを考えると、学生の間に実体験をしておかなくてはいけない。これは大学医学部の附属病院に近い考え方である。いくら授業で医学を習っても、それを患者を通じて体験しなくてはいけない。

 そこで国立大学の医学部附属病院と附属学校(幼稚園、小学校、中学、高校)を比較して考えてみたい。どちらも医学部および教育学部の学生の実習、および研究のための附属機関である。ただ内容は全く異なり、医学部附属病院は第三次高次医療機関としての役割を持つ。つまり開業医では対処できない、治療できない難病を主として扱い、かぜなど簡単な病院はみない。また研究対象もガンなど難病を対象として、先端的な治療法を開発して、附属病院で試す。一方、附属学校は、障がい児などの特別支援学校を除けば、普通の、あるいは普通より優秀な生徒を集める。こうした生徒は先生の言うことをよく聞き、世話がかからない。つまり教えるのは簡単な生徒である。

 大学の教育学部では、学校で問題となる不登校やいじめ、あるいは最近では英語の早期教育などの問題を研究しているが、こうした問題を解決する方法を学会などで発表しても、その効果を直接に試しているわけでない。医学部で言えば、新しい手術法、治療法を頭の中で作り、それを発表だけしているようなものであり、実際に患者に使用してどのような効果があったが検証されないと、全く無意味な研究となる。こうしたことが教育学部で行われている。大学病院の臨床教授は患者を治療できないといけないが、教育学部の教授は落ちこぼれの中学生を立ち直られる能力があるわけでない。もちろん大学病院でも基礎の教授は臨床には関係しないが、教育学部の教授の中で、附属学校で実際に教えている先生は少ない。

 私の提案は、国立大学の附属学校は、一般小中学、高校で持て余している生徒を積極的に入学させる学校にしてほしい。医学部附属病院が一般医院で治療の困難な患者を引き受けるように。こうした教育困難な生徒をしっかり教育できてこそ、先生の真価が問われ、また教育学部の教授も自分の理論が試される。附属学校の先生の中には、優秀な生徒が集まっていないと、教育実習の生徒には難しすぎるという声や、貧困家庭の子供が入る学校がなくなるといった声もある。全くナンセンスな声で、教育実習こそ、難度の高い状況に置くことが大事であり、それを補佐するのがベテランの教官である。教えるのが簡単な生徒であれば、ある意味、別に附属学校で実習する必要はない。また筑波大学附属駒場中学、高校の生徒の家の平均年収を集計してみればよい。かなり高いはずだ。こうした学校に入学する父兄は教育熱心で、塾などにもやれるだけの収入の高い家が多い。

 国立大学の附属学校が、附属病院と同じようなものでなければ、必要ないのは、例えば弘前大学医学部附属病院はかぜなど簡単な病人しかみないと考えればよい。それならば近くの診療所でよく。今のまま附属学校が入試成績のよいエリート校であるなら、仮になくなってもOBは悲しむかもしれないが、その廃止を援護する市民はいないと思われる。少なくとも、附属学校の入試は抽選にすべきであり、不登校や適応困難など問題児を積極的に受入れ、教育学部の講義内容、教官の実際の教育現場で試されるべきと考える。日本以外にこうした附属学校があるのは知らない。かなり日本独自のシステムと思われる。

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