2017年11月11日土曜日

手仕事の医療 評伝 石原寿郎


 「手仕事の医療 評伝 石原寿郎」(秋元秀俊著、生活の医療社、2017)を買った。最近は、瞼がすぐに重くなり、途中で寝てしまうことが多いが、この本は久しぶりに面白く、一気に読めた。

 東京医科歯科大学補綴学講座の石原寿郎教授は、昭和44年に亡くなっているので、私たちの世代は全く接点がない。ただ私がいた東北大学も、鹿児島大学も東京医科歯科大学出身の教授が多くいたので、間接的に石原先生のことを聞く機会があった。東北大学には、石原先生の直弟子の吉田恵夫先生や同級生の和久本貞雄先生もいたし、鹿児島大学に移ってからも所属していた矯正科の伊藤学而先生からも、石原先生のことを聞いた。

 個人的には私が鹿児島大学で行った研究が、“不正咬合者の咀嚼能力”であったので、石原先生の篩分法による咀嚼能力の研究は直接の参考になった。補綴治療でもそうであるが、治療によって何がよくなったという基準が必要で、歯科の分野では、どれだけよく咬めるようになったか、咀嚼能力を定量化して、比べることはどうしても必要である。この咀嚼能力を調べたのが、石原先生の初期の仕事であり、この本でもそうした研究が紹介されている。また反対咬合者などの不正咬合の咀嚼能力も石原先生が最初に調べた。ただ篩分法は操作が複雑で、子供では測定できないため、より簡便な方法として石原先生の弟子である広島大学の羽田先生が開発したチューインガム法を使った。測定方法の誤差から始まり、3歳児から成人までの咀嚼能力の発達、矯正治療前後の咀嚼能力の変化をチューインガム法で調べたが、おそらく矯正治療前後の咀嚼能力を調べた最初の研究と思う。今でもかなり引用されている。

 この本を読んで、一番驚いたのは“病巣感染説”、“中心感染説”のことである。1910年のハンターの研究により、皮膚、関節、眼、精神疾患まであらゆる原因のわからない疾患が、歯の処置、とくに歯髄処置に起因するとされ、内科的判断から、1950年ころまで歯髄処置が消えた時代があった。すなわち内科的な疾患があり、口腔内に歯髄処置があれば、即抜歯となった。大変な時代で、歯の治療と言えば、抜歯であり、多くの無歯顎の患者が生まれた。ようやくこの悪夢のような時代が終焉したのは、グロスマンやその弟子ベンダーなどが徹底的な無菌治療、規格レントゲン写真などで、歯の根尖病巣が歯内療法で治ることを証明してからである。こうした歴史は、この本を知るまで知らなかった。

 一般歯科医のスタディーグループで歯内療法の森克栄先生の講義を3回ほど聞いたことがある。かなり癖のある先生ではあるが、その歯科臨床への真摯な姿勢には尊敬する。この本でもかなり森先生のエピソードが載っているが、改めて今でも先生の歯科臨床に対する姿勢は変わっていないなあと思うと同時に、今でこそ歯内療法は歯科臨床でも重要な分野であるが、中心感染説が全盛の時に、それを否定しようとしたグロスマンやベンダーの苦労を知った。それを直接知る森先生が命をかけ、うちこんだ歯内療法への強い思いは、知るにつれ、森先生のある意味過激な言行も納得する。

 これも含めて、最近の歯学部学生は、歯科の歴史を知るため、是非ともこうした本を読むべきである。不毛なナソロジーなどの議論もかなり少なくなったとはいえ、未だに消滅したわけではないし、また中心感染説も、歯の疾患が糖尿病、心疾患などに関係するという別の観点で復活している。私自身はこうした考えにはあまり賛成しないが、この考えはかって歯が原因で、すべて抜歯という考えとそれほど大きな隔たりはない。ナソロジーに関しても、矯正治療により顎関節症や全身疾患などが治ると本気で患者に説明する歯科医がいるが、こうした先生は逆に矯正治療が全身疾患を起こすと訴えられる危惧はない。かっての中心感染説が猛威をふるった40年間を知れば、こうした主張はできないであろう。

 是非ともこれまでの歯科が歩んだ不毛な歴史を二度と繰り返さないためにも、こうした本を読むことは大事なことと思える。

0 件のコメント: